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2011年1月30日 (日)

かみさま

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今日は一日曇りかな、と思っていたら、晴れ間が見えてきた。風が強くて、雲が勢いよく動いていく。

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(全然雰囲気出ない写真しか撮ってなかった…)今日は塾の先生仲間と熱田神宮に来ました。
熱田神宮。三種の神器の一つ草薙神剣(くさなぎのみつるぎ)が置かれている神社だ(ちなみに残りは、八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま) が皇居に、八咫鏡(やたのかがみ) が伊勢神宮にあるそうです)。名古屋市熱田区の国道沿いに、突然現れる森。森に入って5分ほど歩くと、そこはもう本宮だった。

他の方の到着を待ちながら、参拝所や木々を見つめる。相変わらず風が強い。木が大きく揺れている。
私は長所も短所も鈍感なところ、と言えるくらいで、こういう場所で神様の気配や神聖な何かの気を感じたことは一度もない。神社に来ても、空気がきれいだと思うだけだ。このときも、神様の気配を感じたわけではまったくなく、ただ何となく風に揺れる木を見つめていた。太陽の光の反射で葉をきらめかせながら、枝が大きく揺れる。細い枝がたわむ。髪を振り乱して踊るように、あるいは意地悪な風に翻弄されて戸惑うように。
それでも、その細い枝からつながっている幹は、揺るがない。どれだけ枝が暴れても、幹はその動きを吸収して、動かない。といって、枝の動きを止めたりもしない。枝が望むようにさせる、そのために生じる衝撃は自分のところで吸収する。それはきっと、揺るぎない、本当の強さ。
不意に、あの枝のように心が大きく揺さぶられて、涙がこぼれた。私もこんな風に強く生きたい。木のように生きたい。簡単に折れない心が欲しい。
そのとき、他の先生が到着して思考は途切れたのだけれど、不思議な感覚はその後もしばらく残っていた。

神社に神様がいらっしゃるのかどうか、私にはわからない。それでも、神社に入れば確かに厳粛な気持ちになる。瞑想のような、外界とは異なるところで脳が動いている感覚になる。静かな空間、木々のざわめき。その中で、自分の心の奥底をゆっくり見つめることができる、神社ってそういう場所なのかもしれない。
参拝以来、気持ちがやや不安定になっているけれど、きっとそれが今の自分に必要な心の動きなのだろう。そう信じている。

参拝の後は、あつた蓬莱軒で新年会。

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この蓋、可愛すぎる…。
中身は…

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うなぎ入りの茶わん蒸し。

そう、蓬莱軒はうなぎ、ひつまぶしの専門店。かなりおいしいとの噂なのだけれど、わたくし未体験です。残念ながら今回も注文できなかったけれど、またの機会にぜひ食べたいなあ。
塾の皆様、今日はありがとうございました。

Tomorrow is another day. (さっきラジオ講座で言っていた。「明日があるさ」のような意味)
それでは、明日もよい一日を!

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コメント

初めてコメントします。いつも楽しくブログ読ませていただいています。

すでに十分木のようにしなやかで強い方、くまぼぼさんのことを勝手にそういう方だと思っています。でも、強い人もいつも強いわけじゃないから、辛い時もあるから、そういうときは我慢しないで泣いてもいいんだと思います。

何があったのかも知らないのに、無責任にすみません。これからも楽しみにしています。

コメントありがとうございます。とても嬉しいです!

「すでに十分木のようにしなやかで強い」、そんなふうに言ってくださって、本当に嬉しいです。自分では、もっと強くなりたいのにって歯がゆくなることばかりですが、そう言ってくれる方がいらっしゃると救われます。

優しい言葉本当にありがとうございました。こちらこそ、これからもよろしくお願いいたします。

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