【小説】朝日が昇るところ (8)
「……分からない」
ようやくそう絞り出した僕をしばらく見つめると、ルミは顔を歪めた。
「彼女のせいなのね」
声は聞いたことがないくらい暗いものだった。僕はうんざりしてきた。どうしてルミが彼女にこだわるのか理解できなかった。
「違うよ」
「違わない」
「なんでだよ。関係ないって言っているだろ。名前も知らない子なんだよ」
苛ついてそう返した僕を、ルミは厳しく睨んだ。
「そんなこと関係ないわよ。あなたが他に一枚でも人物写真撮ったことあった? 私の写真なんて一度だって撮ったことないじゃない。あんな綺麗な写真が撮れるくせに。名前も知らない? そんなの、もっとひどいわ。名前も知らない子のことをずっと想いつづけていたっていうことでしょ。私のこと、何だと思っていたのよ」
最後は悲鳴に近かった。ルミはそのままテーブルに突っ伏した。
僕はどうしていいのか分からなかった。混乱していた。彼女は、他のどの被写体とも比較できない存在だ。いや、比較しようと思ったことさえなかった。だから僕は、彼女とルミを同列に並べたことなんてなかったのだ。ルミがこのことで苦しむなんて、思いつきもしなかった。
「ルミ……」
肩に手を置くと、ルミはゆっくりと顔を上げた。頬が濡れている。
「ごめんなさい。守、今日は帰って。お願い」
僕は、本当はどうすればよかったのだろう。情けなくも言われるがままに、僕はルミの家を出た。
家に帰る気にはなれなかった。とぼとぼ歩いているうちに見つけた居酒屋に入った。いくら飲んでも酔えなかった。しばらく飲んでから、店を変えてさらに飲み続けた。
ルミの悲鳴が頭にこびりついて離れない。あんな風に取り乱したところも、泣き顔も初めて見た。ルミはいつも冷静で、僕を責めたことなどなく、僕はずっと何も考えずにそれに甘えてきたのかもしれないと、初めて気づいた。
でも、と僕は自分に言い訳する。なぜルミは何も言ってくれなかったのだろう。ルミがいつも冷静だから、きっと僕は何も気づけなかったんだ。不満があるなら、話してくれればよかったんだ。だって僕らは恋人なんだから。不満も不安もすべてぶつけてくれればよかったんだ。
言い訳が一通り終わると、脳裏に再び彼女の涙が浮かび、僕はまた自己嫌悪に陥る。それをごまかすためにまた酒をあおった。
そして、ルミに言われるまで気づきもしなかったことを考え始めた。僕は、あの時の女性を愛しているのだろうか。彼女以上に誰も愛せないから、結婚する決心がつかないのだろうか。
愛。しかし、なぜかその言葉は宙に浮いた。あの女性を愛している。僕は心の中で繰り返しつぶやく。何度繰り返しても、その言葉はしっくりこなかった。
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