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2011年5月 2日 (月)

【小説】朝日が昇るところ (12)

 ふと、写真の前に立っている女性に目を移す。年は三〇代半ばだろうか。飾り気のない服装に、ひっつめた髪。そのまま家に帰って夕食を作り始めそうな雰囲気だ。これまで個展を見に来てくれた人とはどこか異なっていて、気にかかる。一歩近づくと女性の顔が見えた。女性は、――涙を流していた。
「あ……」
 思わず発した声に、女性は驚いて振り返る。
「すみません」女性は急いで鞄からハンカチを取り出す。謝られてもどう返していいのか分からない。しばらく気まずい沈黙が流れる。
「もしかして、あなたが市橋守さんですか?」
 まだハンカチを目に当てながら、女性は言う。うなずくと、ぱっと晴れやかな顔になった。
「よかった、お会いできて。私、お礼が言いたくてここに来たんです」
「……は?」
 意味が分からない。僕があまりにきょとんとした顔をしていたのだろう。女性は慌てたように言葉をつづけた。
「突然ごめんなさい。新聞でこの写真を見てびっくりして……。勘違いかもしれないとは思ったんですけど、直接見に来なきゃと思ったら、もう、いてもたってもいられなくて……」
 そこまで一気に話すと、彼女は写真の方をふり返った。愛おしそうな表情で。
 その表情を見た瞬間、雷に打たれたような気がした。彼女と同じように写真を見つめる。そこには、歌う女性の姿。この女性は今頃、三〇代になっているはず――。
 僕は恐る恐る目の前の女性に視線を戻した。彼女も僕を見つめている。その瞳は「そうよ」と言っているようだった。
 力が抜けていく。
「……本当に?」
 会えるなんて思っていなかった。ここに写真を展示したのはあくまでも自分のためで、この写真を見た本人が見に来るなんて、不思議なことにまったく想像していなかった。毎朝探していたつもりだったけれど、本当はもう諦めていたのだと気がついた。
 しかし、目の前にいる女性からはあのときの輝きを少しも見つけられなかった。彼女は、全く普通の女性だった。写真の女性よりも髪は短い。写真の女性よりも少しふっくらしている。少し猫背にもなったみたいだ。同一人物だなんて思えないくらい、二人は違って見えた。
 でも僕は、そのことにまったく落胆していなかった。なぜだかわからないが、それでいい、と感じたのだ。

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