沖縄、いちごいちえ (54)
まず、アーバンライナーでおにぎりを食べながら(しつこい)ひしひしと感じていたことから。それは
何かするときに効果を求めても、たぶん悲しい結果に終わる
ということ。
消毒だ。私も沖縄で太陽の光を浴びて青い海を見たら、身体の中に溜まったドロドロのものが蒸発するんじゃないか。自分がこんがりと日焼けして、内部のドロドロが乾燥してはがれていく様子が目に浮かんだ。沖縄に行けば救われる、癒される。そう思った。
そう思って沖縄に行った私。
でも、実際に沖縄に着いてみたら、自分が求めていたことなんてすぐに吹き飛んでしまった。
目の前にある本物の沖縄は、あまりにも綺麗で、考えさせられて、勉強にもなって、もちろん楽しくて。
「救われたい」「満たされたい」なんて一度も思わなかったのだけれど、帰りの電車の中の自分はすごく満たされていて、ああ、そうなんだなって思った。
もし自分が、沖縄でもずっと辛いことを忘れられず「救われたい」と思い続けていたら、きっとあんなに満たされてはいなかった。目の前のものにただ夢中になって、それを後から振り返った時に初めて、満たされるのかもしれない。
そもそも、沖縄は私を救ったり満たしたりするために存在しているわけじゃない。
「満たされる」とか「救われる」という受動態がいけないのかもしれない。「誰かによって」「何かによって」を求めてしまうから。
「満たす」のも「救う」のも、結局は自分。「何か」「誰か」をきっかけにすることはあるとしても。
人間関係も、たぶん一緒。
自分が弱っているときには、恥ずかしながら「誰かに救われたい」と思ってしまうことがある。
でも、相手は別に自分を救うために存在しているわけじゃない。
「誰かのために」なんて、そんなに簡単に使える言葉じゃない。
誰もが、当然自分のために生きている。もちろん私も。
それでも、ごくたまにそれぞれの流れが合わさることがある。
自分のためにした行動が、結果的に誰かを救う。または、誰かがそうしたことで、結果的に自分が救われる。
それって本当に幸せなことだけど、いつも起きるわけじゃない。
期待したって得られない、奇跡のようなもの。
(ああ、海綺麗…。本文とは関係ありません)
求めすぎず、おもねりすぎず。
自分のしたいことをする。
そんなことを考えていた。
じゃあ、「自分のしたいこと」って何なのか。
私は一体どうやって生きていきたいのか。
(つづく)
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雨、続いています。
近所の中華料理屋さんで日替わりランチ。今日は酢豚でしたの。ぶー。
セットに必ずついてくる飲茶。
またもや風邪を引きそうな状態で何とかこらえております。。
気温差も激しく、体調を崩しやすい時期。皆様もどうぞご自愛くださいませ。
明日もいい一日を!
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