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2011年7月20日 (水)

本当の自分、つづき

風が吹いたらメアリー・ポピンズごっこ♪なんてのんきなことを言っていたら(いけません)、あらあら台風はどこ?

Dscf1219

夕方には本格的な晴れ模様。

明日はドキドキの一日。すごく上手にできなくてもいい(というか無理だ)けれど、せめてびっくりするような大失敗、はなければいいなあ、と思っております……うーん。
関係者の方々、なにとぞよろしくお願いいたします。

**

先週書いた「本当の自分」の話。
知らないうちにほぼ日刊イトイ新聞の「おとなの小論文教室」でもテーマになっていた。シンクロニシティ?

今週の話はこちら
※この前にも2回分同じテーマで書かれています。

先週自分が言葉足らずで言い切れなかった(というか「さておき」と言って逃げた)もやもやの部分が、びしっと書かれている。そうそう、そういうことが言いたかったのよ(後からなら何とでも言える)。

最近の若者に、
新たに2つの思考停止のパターンを見るのです。

ひとつは、
「時折出てくる弱く・醜い自分こそ、本当の自分だ」
という思考パターン。

そう! そしてその思考パターンを自分だけじゃなくて他人を量る(そもそも、なんでそんなことするの?)ときにも当てはめるんだよね。。どうしてなんだろう。そのくせこんなことになったりする。

友だちや恋人の、「意外ないやな一面」を見てしまうと、
「そんな人だとは思わなかった」と言って、
関係を断ってしまう人がいます。

たとえば、好きな女性を、勝手に「聖女」だと思い込んで、
勝手に純白だという幻想を抱いてしまって、
その「純白」のなかに、1点でも「汚点」が見つかると、
ガラガラと幻滅してしまい、

「そんな人だとは思わなかった」

と別れてしまうようなパターンです。
「一部分」に「全体」がやられてしまっている。

私、こうやって距離をおかれたこと、何度かある。
何度かあるということは、自分の人づきあいのやり方にも大いに問題があるから、というのはわかっている。
それでも、何度経験しても、これって本当に傷つくんだよね。
自分の中に信じていい場所がどこにもないような気持ちになって、しばらく立ち直れなくなる。
私自身はできるだけ、そんなふうに他人を見ないようにしたいなあ(と言いつつ多分してしまっているんだけど)

「真実は神様の領域。人間に分かるのは事実だけ」というような言葉があるそうで。
そして、事実の解釈は無限にあるわけで。
自分がとらえた答え(のようなもの)がすべて、とは思わずに生きていきたいのです…。

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明日も幸せである様に♪

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