意志とチャンスと
一日遅れですが、この間のおもてなしライブ、Mハロさんのブログにも詳細が載りました。
(勝手にリンク、すみません)
読み返して、改めてしみじみ。いい会だったなあ。
後半の本、三人とも本当に素晴らしかった。これから買う予定ですー。
さて、Mハロさんが読まれた太宰治「チャンス」が、心をむぎゅっとつかんで離さない。
「少くとも恋愛は、チャンスでないと思う。私はそれを、意志だと思う。」
恋愛は、チャンスではない。
少しだけ似ている文章を、前にどこかで読んだことがある。うろ覚えだけど、こんな内容。
「すごく仲がいい二人がいて、周りから見ていると『どうしてあの二人付き合わないのかしら』と思うような二人で、でも二人の距離は変わらない。それは当然。『なんとなく仲がいい』ということでは越えられないものがある。その壁を絶対越える、という思いをお互いに持っていないと、越えられるものじゃないんだ」
だいぶ違う気がしてきた(笑)けど、まあいいや。
再び、太宰の文章。
「恋愛に限らず、人生すべてチャンスに乗ずるのは、げびた事である。」
そうなんだよなあ。たしかに今までも、「チャンスだけ」で何かを成し遂げたことなんてなかった。まず自分に強い意志があって、その上にチャンスが重なった時だった。
自分に意志のない状態で、何かを始めることはできない。
また、相手に意志がないのに、何かを押し付けることもできない。
そのことが時々とても悲しくなるけれど、それが人間として生きていくっていうことなんだろうな。
だから、大丈夫。今のまま歩いて行ける。意志を持って。
いつもありがとう。
明日も幸せである様に♪
私は、チャンス優先の恋愛はただの淫乱ではないか、というところをおもしろく読みました。
朗読セッションでは、作品の最後の一節だけを読んだのですが、冒頭から続く議論のあれこれもなかなかおかしく、読ませてくれますよね。
マハロ!
投稿: マハロ | 2011年11月28日 (月) 16時47分
そうですね!その部分もとても面白かったです。前半の「所詮『色欲』なのに愛という言葉をつけて高尚なもののように仕立てあげている」というところも確かに!と思いました。「愛」という言葉は使うのにどうもしっくりきませんね。やっぱりもともと日本語にない言葉だったんだなあ、と思います。
全体的にはそういう部分に対する印象が強かったんですが、読み終わってみたらなぜか「意志とチャンス」という言葉だけが残ってしまいました。今の自分がそういう気持ちだからかな。
とにかく、面白い本を教えてくださってありがとうございました。マハロ(o^▽^o)/
投稿: くまぼぼ | 2011年11月28日 (月) 17時05分