【本カフェ】嘘つきアーニャの真っ赤な真実
某ブログで「朝6時半に外を見ると明るくなってきた。春が近づいている」と書かれていたので、6時半に外に出てみた。
本当だ!春よこーい!(と言いつつ大寒もまだ1週間後)
嘘つきアーニャの真っ赤な真実
米原万里・著
角川文庫
1960年から1964年まで、当時のチェコスロバキアのプラハで「在プラハ・ソビエト学校」に通っていた米原さん。9歳から12歳の時期をともに過ごしたかけがえのない友人のエピソードが前半、そして後半では大人になった米原さんが友人を探し求めてヨーロッパに向かう。
大宅壮一ノンフィクション賞受賞作…と表4に書いてあったのに、なぜか小説だと思って読み始めてしまい、2作目(全部で3作収録されています)が始まったところで気づいた。慌ててもう一度1作目から読み直し。
間違えたことを言い訳したいわけではないのですが(苦笑)、まるで小説のように流れていく本だった。それは素材自体が劇的であることももちろん、米原さんと文章の距離がとても気持ちよく、特に自伝的な本には付き物の生々しい作者の存在(自体は好きです)があまり感じられなかったからかな、と思っている。
さらに言えば、この本は彼女の個人的な思い出話ではない。プラハの春、ソ連崩壊などが「影響」などという言葉では表せないくらい彼女たちにのしかかる。
「…抽象的な人類の一員なんて、この世にひとりも存在しないのよ。誰もが、地球上の具体的な場所で、具体的な時間に、何らかの民族に属する親たちから生まれ、具体的な文化や気象条件のもとで、何らかの言語を母語として育つ。どの人にも、まるで大海の一滴の水のように、母なる文化と言語が息づいている。母国の歴史が背後霊のように絡みついている。それから完全に自由になることは不可能よ。そんな人、紙っぺらみたいでペラペラで面白くもない」
これは、マリ(米原さん)が表題のアーニャに投げかける言葉だ。その通りだと思う気持ちと同時に、投げかけられる側のアーニャにも想いを馳せたくなる。なぜこうなってしまったのか。簡単に言えることは何もない。
ただひたすら圧倒された。それでも、相当重たい内容であるにもかかわらず、読後感は優しい。
(まとまらずに書いてしまった感がビシバシ漂うけれど、このまま行っちゃえ)
明日も幸せである様に♪
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