« 災い転じて | トップページ | また出会う、高山(9) »

2012年11月27日 (火)

また出会う、高山(8)

陣屋の続きです。

そもそも、高山ってどんな歴史なんだろう。陣屋の一部は資料館のようになっていて、豊臣秀吉の時代以降のことが詳しく書かれていました。

Dscf6065

(こちらも庭)

豊臣秀吉の家臣だった金森長近。飛騨地方全体を平定してその「飛騨国」の城主となる人物です。天正14(1586)年のことでした。
長近は、天正16(1588)年から慶長5(1600)年の13年間で、今の城山公園に高山城を築きました。日本国中に5つとない見事な城という記録が残っています。
さらに、城の周りに充実した城下町を築き、ここから金森一族による飛騨国統治が始まるのでした。
金森氏による統治はその後6代、107年間続きますが、元禄5年(1692)7月28日に、当時の城主が突然、出羽国上ノ山(でわのくにかみのやま)(山形県)に転封となって金森氏による政治は終わったのです。

その後の飛騨は幕府直轄領となり、しばらくは城に幕府からの代官が常駐しますが、元禄8年(1695)1月12日に幕府から高山城破却の命令が出され、城は取り壊されることになります。

その後も幕府による統治は明治まで177年間続きます。その際、政治が執り行われたのが「陣屋」。江戸時代には同様の役所が全国にあったのですが、現在も残っているのは高山陣屋のみなのです。

Dscf6066

(まだこの頃はまったく色づいていなかったのに、ずいぶん月日がたっているぞ…むむむ)

明日も幸せである様に♪

« 災い転じて | トップページ | また出会う、高山(9) »

高山旅行」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: また出会う、高山(8):

« 災い転じて | トップページ | また出会う、高山(9) »