また出会う、高山(21)
あれから4か月。
名古屋にいながらも、あの日あの瞬間のことを思い出すとじわりと苦い思いが胸を広がる。
あの時、足元から一気に暗いものが広がった気がした。
呆然とするってこういうことか、と思った。
一緒に来てくれた(付き合わせた)人がいなかったら、きっと私はその場にへたり込んでいた。
知っているんだ。
何一つ、変わらないものはない。消えないものもない。
でも、なぜなのか、あの家はずっとそのままあるんじゃないかって勝手に思い込んでいた。
家は頑丈だからなくなることはない、なんて信じていたわけじゃない。
最近実家もなくなってしまったし(しかも2回目だし)、建物だっていざとなればもろいことはちゃんと実感している。
でも、なぜだかあの家だけはなくならないって根拠なく信じていた。
今思うと、それはきっと、高山という場所の力。
昨日の記事で、曾祖母の家に入る「異次元通路」の話を書いたけれど、思えばそれは高山市そのものを表す表現だ。
高山線を電車で、または、国道41号線を車で北上する。エメラルド川と並走しているとき、周りはひたすら山だ。失礼ながら、こんなところに人が住んでいるのか不思議になるくらい。
でも、「宮トンネル」を抜けると、急に空が広くなる。そして、高山の街並みが広がっていく。碁盤目状に整備された、歴史ある建物たち。
きっと宮トンネルで次元を超えたんだよ。そんな風にも言いたくなるような場所。
たとえば、さんまちの通りに立ち並ぶ店は、もしかしたら何百年も変わっていないかもしれない。
陣屋は、増改築は繰り返しているものの、江戸時代から、しかもただ残っているだけでなく、ずっと役割を果たし続けてきた建物だ。
そんな場所に建っていた、広くて迷路で不思議なお屋敷。
なくなっているかもしれない、とすら思いつかなかった。今も、あの日見た景色の方が記憶違いだったのかも、とまで思ってしまっている。
いや、そうなのかもしれない。
あの時は、うまく異次元に行けなかっただけなのかもしれない。
またぜひ見に行かなくては。
何回出かけても、また新しく出会う。そんな高山。
***
ここまで読んでくださった方、ありがとうございました。
自分でもよくわからない方向の話になってしまいました(笑)
もっと観光ガイドっぽいこといっぱいするつもりだったのに…。
ここしばらくは、このシリーズを最後まで書きあげることだけがブログを続けるモチベーションになっていました。
ちょうど自分にとっても特別な2月の最終日。これを機会に、ブログそのものについても一度ここで筆をおくつもりでいました。
昨日までは、本当にそうするつもりだったんです。
でも、なぜだか今日の記事を書いている最中で、もう少し続けたくなってしまいました。異次元の力が高山から届いたのかも(まだ言う)
こんな状態だからもう毎日続けようとしなくてもいいかとも思うものの、よろよろなりに毎日ブログはやめずにいたい。
なので、結局今まで通りのブログを続けようと思います。ははは。。
自分が書きたくないならやめればいい。書きたいから書く、それでいい。人は関係ないじゃん。
そう心から思う一方で、こんな私のブログを読みに来てくださる方の存在は心の支えなんです。
あの日、私のブログを面白いって言ってくださる方がいなかったら、きっと続けるという結論にはしていなかった。(Hさま、本当にありがとうございます!)
読んでくださる方の存在を、これからも勝手に続ける糧にしちゃおうと思っています。
思い切り心の中の決め事でしかないことを吐き出してごめんなさい。
これからもよろしくお願いします。ぺこり。
明日も幸せである様に♪
































































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