自意識じゃなくて自信
最近炊き込みご飯ブーム。これは大根と豚肉(ときのこ)の炊き込みご飯。
どうやって作っても失敗しない炊き込みご飯。何という懐の深さ。見習いたい。
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(夏くらいから続いているグダグダ話です。どうぞ読み飛ばしてください…)
色々とどんよりしたり自分のダメなところを見つめ直して、「まあいっか」の心境に落ち着いている今。
自信がないのも、そのくせ人から指摘されると逆上してしまうのも、何だかわからない理由で怒りだしてしまうのも、どれもこれもきっと自意識が高すぎるせい。
何かを始めた時には楽しいばかりなのに、ある程度できるようになると他人と比べてばかりになってしまう。自分のできていないことと他人のできることを比較して、ただただ落ち込む。できることが増えるほど、高まるのは自信じゃなくて自意識。
仕事の出来具合も、翻訳の実力も翻訳への愛情も、プライベートの充実度も、結婚や出産も、人と比較する必要なんてないのに。自分にできることだけを高められればいいのに。
頭でっかちに考えてばかりいるうちに、どんどんシンプルな場所から遠ざかっていく。そして、きっとどこかでまだ「私はもっとできるはず」と自分に期待している。そして「なのにできていない。やっていない」と落ち込む悪循環。
aikoのライブで一緒に歌いながら、自分が「aikoのファン度合い」だけは誰とも比べていないことに気づいた。
趣味だからじゃない。だって、たとえば読書でさえ、私は他人と比較する癖が抜けないのだから。
グッズはもちろん買って、地方で行われるライブにも全部参加して、曲が出るたびにブログに解説を書くようなファンを見ると、ただただすごいとため息がでるし、私にはaikoに対して同じだけの行動はできないなあと思うけれど、だからと言って自分はダメなファンだと落ちこんだことは一度もない。これでいい、とすら思っていない。一切評価のない世界。
なんでなんでしょうね。答えはまだ出ていないけれど、何だかここに私が自意識よりも自信を伸ばせるようになるヒントがあるような気がする。
数年前に、ある人に相談したときに「私は自分が何かを成し遂げられる人間だと思っていない。何者かにはなれないしなる必要もない」というようなことを言われた(ニュアンスはもう少し違った気もします)。そのときも感じ入っていたつもりだったけれど、今更ながらその言葉が他の色んなことにつながった気がしている。
別にいいじゃないか。このまま何ひとつ成し遂げられなかったとしても。できることしかできない。失敗したって、それで殺されるわけじゃないんだから。また次があるんだから。
ただ、期待することが悪いんじゃない。他の人の目が気になること自体が悪いわけでもない。そんな自分を変えなきゃ!って息巻くとまたおかしなことになってしまうから、とりあえず生ぬるく自分を観察することにしましょう。
まあ、肩の力を抜いてごらんなさい。
明日も幸せである様に♪
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