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2018年2月 8日 (木)

逸脱と超克と邂逅

この話の続きなんだけど、公式ブログよりはこっちに書きたい気分。
火曜日、再び母校に行ってきた。恩師の最終講義に参加するため。

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この本(特に左側)、皆さん持ってらっしゃっていた。ちらっとのぞくと付箋や書き込みがびっしり。
私は結局当日読み始めました…ううう情けない。

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松本三枝子先生の最終講義。
「アーノルド、エリオット、そしてハリエット・マーティノーへ ―正統からの逸脱と超克―」
60分の講義はあっという間。濃密で、先生の静かな熱が痛いほど伝わってくる時間だった。

大学時代、マシュー・アーノルドから始まった研究生活。
その後、当時はT・Sエリオットへ進むのが正統とされていたけれど、先生が向かったのは同じエリオットでもジョージ・エリオットだった。
研究を重ねて、20年前にジョージ・エリオット協会(そんなのあるんですね…)の第1回シンポジウムに参加することに。
せっかく発表するなら他にはないものにしたいと考えた先生が選んだテーマは、ジョージ・エリオットの『ミドルマーチ』(1871-72)とハリエット・マーティノーの『ディアブルック』(1839)との比較。
ところが、ジョージ・エリオット協会の発表なのにその30年前に共通点を持つ作品を著した作家がいることを指摘してしまったせいで、先生は当時ものすごく叩かれたらしい。
そのことが反骨精神を刺激して、その後はマーティノーの研究に没頭することになった。

最近になって、マシュー・アーノルドの本にハリエット・マーティノーの名前を発見した。
実はこの2人は同時代の人でしかも家も近かったらしく、過激な思想を持つマーティノーをアーノルドが出入り禁止にした(じゃなくて自分の娘がマーティノーの家に入るのを禁止したんだったかな。この部分はちょっとうろ覚え)という記述があったらしい。
アーノルドから始まった研究生活が逸脱してたどり着いたのは、アーノルドから出入り禁止にされたマーティノー。
ここに「超克」を感じた、と先生はおっしゃっていた。

実は私、恥ずかしながら「超克」の意味を知らなくて、この話を聞いたときは「邂逅」とか「再会」のような意味なのかと思っていた。
家に帰ってから調べてみたら、困難を乗り越えるっていう意味なんですね。
乗り越えた先にいたのがアーノルドだったということなのかな。

司会をされていた同年代の教授(男性)が、
「同じ年代として、女性が一人で突き進むのがどれだけ大変な時代だったか少しはわかっているつもりです」
という話をされていたのが印象的だった。
超克。どういう思いが込められた言葉だったんだろう。
感動していたつもりだったけれど、タイトルの意味すら誤読していたなんて。

***

講義の後の懇親会で、ビックリすることがあった。
私が以前にゼミで翻訳の話をしたときに参加していて、今は翻訳コーディネータをしている子が来ている、と先生から紹介されたのだ。
挨拶してみたら、何と彼女、取引先で仕事の依頼をくださっている人だったのです。わお!
私がゼミに行ったのはおそらく旧姓の頃だったし、仕事ではメールのやり取りしかなかったから、結びつくきっかけは全くなかったんだろうなあ。
これぞ邂逅!と感激して帰路についたのだけれど、今思うと、これも超克と呼んでいいのかもしれない。
出会って別れて乗り越えてまた出会って。

えーっと。しみじみしすぎてまとまらなくなってるんですけど。
まあ、そのなんだ。私、もっと頑張る(ぶち壊し)。
超克っていう言葉の意味を実感できる日が来るまで、頑張れることはいくらでもある。
まずはハリエット・マーティノーを読むぞー。

明日も幸せである様に♪

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