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2020年5月25日 (月)

さなかにはわからない

※久しぶりに野球ブログを書いたらとんでもない長さになってしまった。何かが解放されている…。
というわけで、今日のブログは読まなくていいです笑。

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録画しておいた番組をようやく昨日見た。『岩瀬の13球』。
2007年日本シリーズの第5戦、あの継投完全試合の話だ。
平成のドラゴンズニュースの中でもかなり上位に入ってくる話だろう。これは見ないわけにはいかない。
(以降、敬称はすべて当時。あと、記憶で書いているので発言は正確ではないです)

2007年は大学に戻っていた時期で、この試合は大学からの帰宅途中にカーラジオで聞いていた。
ドラゴンズの3勝1敗で、この試合に勝てば日本一、負ければ札幌ドームに行って残りの試合を行う予定だった。
先発の山井投手は当時(まあ今もですけど)投げてみないとわからないピッチャーで、私は失礼ながら「あと1敗できるからこういう采配になったんだろうな」と思っていた。
序盤にファイターズのダルビッシュ投手から犠牲フライで何とか1点をもぎ取ったものの、こんなの一瞬でひっくり返されるよなあという気持ちは変わらなくて。
気付いたのは、4回くらいからだった。1本もヒットを打たれない、どころか四死球もエラーもない。
ラジオから聞こえてくる実況アナウンサーの声も、だんだん上ずっていく。ナゴヤドームのざわめきも聞こえてくる。
5回、6回、7回、まだ打たれない。8回表、ファイターズの攻撃が3人で終わる。ま、まさか!?
ところが、8回裏のドラゴンズの攻撃が終わったとき、アナウンサーがこう告げた。
「落合監督が出てきました。『岩瀬』と言ったように見えます」
その瞬間「はぁ!?」と声が出た。信じられないと思った。観客のブーイングも聞こえた。
異様な雰囲気の中、出てきた岩瀬投手はいつも通り涼しい顔であっという間に3人をアウトにして、史上初の継投による完全試合が終わった。

これが、私のあの日の記憶だ。
翌日にはだいぶ冷静になって、日本一になった嬉しさの方が強くなっていったけど、あの瞬間は、もし自分がナゴヤドームにいたらブーイングを言う側になっていたかもしれない。絶対言わなかったという自信は全然ない。
あの後のマスコミや一部のドラゴンズファンが起こした騒ぎのことは思い出したくないし、一緒にしてほしくない気持ちもある。でも、あの瞬間に「はぁ!?」と声が出てしまった私は、本当は彼らと地続きだ。

番組は、岩瀬投手のそれまでの偉業と当日の試合の流れを交互に流して、合間に当時の関係者へのインタビューをはさむ形式で進んでいった。
見始めたとき、私は全員が「難しい判断だった」と言うんだろうと思っていた。
「山井の気持ちを考えると」みたいな発言が誰かから出てくるだろうと思い込んでいた。
ところが、誰もが「岩瀬への継投は当然」と口を揃える。
たった1人を除いて、全員が「何一つ迷わなかった」と話した。
落合元監督は「あの後なぜあんなに騒がれたのか全く理解できない」と話し、井端選手・荒木選手も「継投以外ないと思っていた」と言う。渦中の山井投手本人でさえ、「最後にマウンドに立っているのは岩瀬さんであるべきだと思っていた」と自分から森ヘッドコーチに直訴した(ただ、直訴の一番の理由は、血豆が潰れたりしてもう限界だったこと)。
全員にとって、「最後は岩瀬」は既定路線で常識だったのだ。
もちろん、野球界の人なら誰もがそう思っていたわけではない。
アナウンサーも解説の人も交代にびっくりしていたし、ファイターズのヒルマン監督も最後まで山井投手の続投を信じていた(と番組で当時のファイターズのヘッドコーチが語っていた)。
ドラゴンズの関係者だけが「最後は岩瀬」に髪の毛ほどの疑問も持たなかったのだ。そうだった、そういう時代だった。洗脳されているんじゃないかっていうくらい、全員が同じ方向を向いていて怖いくらいだった。
(ちなみに、当時19歳だった平田選手は「えっ、山井さん代わっちゃうんだ」とややびっくりしたと語っていて、まだ入団したばかりだから洗脳が及んでいなかったのかとほほえましくなってしまった)

たった1人「嫌だ」と思っていたのが、岩瀬投手本人だった。
マウンドに向かいながら、彼は「絶対に3人で終わらせないといけない」と心に誓っていた。現役生活の中でそんなことを思ったのは、後にも先にもこの日だけだったと言う。
落合監督にとって、この試合は「絶対に勝たなくてはいけない」という枕詞がつくいつも通りの試合だった。岩瀬投手が投げている間も、ブルペンに目をやっている。10回以降の展開も見据えていたのだ。
谷繁捕手はこの試合のことを「岩瀬と僕のいつも通りの試合」と振り返った。
番組の中で、ベンチで身を乗り出す山井投手は、晴れ晴れとした顔をしている。
岩瀬投手だけが、「完全試合を継続しなければいけない」という圧と闘っていたのだ。

「いつも通り涼しい顔であっという間に3人をアウトにして」としか記憶していなかった9回表の13球は、実際にはすっぽ抜けたり甘いところに吸い込まれていったりと危なっかしいところもあった。
そんな心の動きが一番伝わってくるのが、最後の打者になった小谷野選手への投球だ。
2ボールからストレート2球で2-2。ここで谷繁捕手の出したサインはスライダー。小谷野選手に対してはまだ一度も見せていない伝家の宝刀。きっと空振りする、と考えた。
だが、岩瀬投手は首を振った。
「2-2だ、と気づいたんですね。もしスライダーが外れたら、次に投げる球がなくなってしまう。フォアボールにはしたくなかった」
あと1球で日本一というシーンになっても、岩瀬投手の頭にあったのは完全試合を終わらせないことだったのだ。

この13年間、あの試合の検証番組は何度も見てきたから、もう知っていた話もたくさんある。
それでも、改めて痛感するのは、「さなかにいるときには何も見えていないんだなあ」ということ。
山井投手が2回くらいから血豆ができていたなんて試合中にはもちろん全然知らなかったし、自分から森ヘッドコーチに交代を進言したなんて当時は思いもよらなかった。
そのことを知ってからも「冷たい世界だ」とちょっと切なくなったりしていた。
でもあれから13年たって、今のドラゴンズは信じられないほど弱い。
今の現役選手が当時くらい冷酷でいられるかなあと思うと、とても「うん」とは言えない。
あの頃の方がいい時代だったとも、今はだめな時代だとも簡単には言えないけれど、もし当時くらい強くなりたいなら、あれくらいの冷酷さが必要なのかもしれない。
今は今でいいと思うんだけどねー。

番組の最後に、「岩瀬と僕のいつも通りの試合」という谷繁さんの映像を見た岩瀬さんが「えっ、じゃあ3人で終わらせないとって思っていたのって僕だけだったんですか」と笑っていた。
「谷繁さんと岩瀬さん、全然意思疎通できてないじゃん!」と私も笑ってしまった。
やっぱりさなかには何もわからない。
でも、あの後(翌年の北京オリンピックも含めて)心が折れそうなことばかり起きた岩瀬さんが、今振り返って笑えるようになっている。それがわかっただけでも、この番組を見てよかった。

長かったーーー!
そんなわけで、プロ野球の開幕が決まりましたね。
当面は無観客開催ですが、対策をしたうえで観客を入れてもいいという判断が下されたら、必ず行きます。
今の苦しさもきっとさなかだからわからないことだらけ。
でもきっと、後から振り返ったときに今年の観戦はすごく記憶に残ると思うんだ。

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摂取カロリー・1534kcal、基礎代謝+消費カロリー・1687kcal、差は-153kcal。
体重は前日と同じ。

■読書ログ■
・和書32:『たった1分ですっきりまとまる コクヨのシンプルノート術』コクヨ株式会社・著、KADOKAWA、電子書籍→読了
・和書33:『隣人の殺意』日下圭介・著、アドレナライズ、電子書籍
・翻訳書14:『Think clearly 最新の学術研究から導いた、よりよい人生を送るための思考法』ロルフ・ドベリ・著、安原実津・訳、サンマーク出版
・翻訳書15:『声』アーナルデュル・インドリダソン・著、柳沢由実子・訳、創元推理文庫、紙の本


明日も幸せである様に♪

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