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2022年12月12日 (月)

翻訳者とは

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『取材・執筆・推敲――書く人の教科書』古賀史健・著、ダイヤモンド社

今の自分にものすごくはまる本に出会った。
Audibleで聞き終わってから電子書籍で買い直したくらい。
ライター向けに書かれた本なのだけれど、ほとんどの箇所を「ライター→翻訳者」に置き換えて読めると思う。

ハウツー本ではないし、精神論満載の本でもない。
ただ取材・執筆・推敲についてどこまでも具体的に書かれていて、それがとにかく「翻訳」にも当てはまる。

著者はまず、「ライターとは何か」と問いかける。
ライターは「書く人」ではない。映画監督が「撮る人」ではなく「映画を作る人」なのと同じく、ライターも「コンテンツを作る人」であり、「取材者」だと言う。

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そして、取材した内容への「返事」が「コンテンツ」なのだと。
ああ、これはもうそのまま「翻訳者」の定義だ。
原文(とそれ以外の調べ物)をどこまでも深く読み込んで、「本当にわかったのか」と自分に問いかける。そして、わかったことが訳文になる。

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ぎゃー、痛い。
以前、私は自分の長所を「日本語の表現力」とか軽く言っていたけれど(最近は一応自分でもその言い方に違和感を持ってきたのであまり言わないようにしているけど)それって「意匠」だけの話じゃないのか。
1冊の本を訳しきるには、確固とした「構造」が不可欠だ。原書の構造を徹底的に理解して、訳文でも土台が揺らがないようにしなければならない。
構造がぐらぐらなまま日本語の表現だけ誤魔化したところで、読者は安心して読み通せない。そもそもそんな文章を「表現力がある」なんて呼んだら、表現力さんに失礼だ。

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ここも胸が痛い。
原文も自分の訳文も読めていない。「読者としての自分が甘い」から甘い訳文ができあがる。
でも、ここには救いがある。
逆に、推敲はこう捉えられるからだ。

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読者の自分はいくらでも成長できる。
読む力はいくらでも鍛えられる。
最近、自分に読む力が足りないことを痛感しっぱなしで落ち込んでいたけれど、足りないなら鍛えればいい。

結局、ライターと同じく、翻訳者もきっと「訳す人」ではない。
読者であり、読み取った結果(返事)を発信する人。それが翻訳者なのかもしれない。

まだ2回目の通読中だから、きっともっと発見があるんだろうな。
自信を失ったときにも、根拠もなく自信過剰に陥ったときにも、この本を読み直したい。

(真面目に書きすぎて耐えきれなくなってきた……)

明日も幸せである様に♪

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